No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

規格を満たす、ということ

さきほど近所に買い物に行って、商店街の果物屋さんでイチゴを買ってきました。

 

ズラッと並んでいるイチゴを物色してると、

店のおいちゃんに声かけられまして、まず勧められたのが"あまおう"。

新しい品種ですけど、人気ですよね。

あかい、まるい、おおきい、うまい、で"あまおう"。

その名の通り、立派な粒揃いがパックに詰まってました(味はわからないけど)。

 

が、私は少し酸味のある"とよのか"の方が好きでして、それを伝えると

ちょっと離れたところからパック持ってきて「これ200円よ」と。

私が見てたのは150円。見比べると、粒の大きさや揃い方が全然違う。

とよのかは粒小さい方が酸味強いんですよね。

なので、私は親切なお勧めをお断りし、150円の方を購入しました。

(ゴメンよ、おいちゃん!

 

1パックのサイズは同じだったので、粒が小さいとそれだけ数多く入っているし、

おそらく重量も安い方があるはず。

量的には150円>200円なのだけど、金額では逆転が生じていて、

それは一粒の大きさだったり、の見栄えの部分。

 

農産物というのは、見栄えに対する基準が(無駄に)厳しいと思います。

傷がついてたらダメ、曲がっていたらダメ、だとか、そこは味に関係あるんですか?という所。

 

今回、私が買った粒小さめのイチゴ達は、規格という範囲からはみ出しかけていたのでしょう。

消費者としては、ものを安く手に入れられるのは願ったりなことなのですが、

一方で、生産者の利益は減り、完全に規格を外れてしまうと、市場に出回ることすら許されない。

そこにかけたコストは無に帰してしまう。

 

もちろん、あるブランドだったり品質を保つために必要な規格もあります。

でも、それホントにそうあるべきなの、と疑問を感じる基準も多いです。

 

 

そして、農産物に限らず、世間には規格を外れることを嫌悪する、という風潮が厳然とあるように思います。

(まぁ、農産物は売り上げに直結してしまうのだろから、ちょっと意味が変わってくるかな)

社会の規格、性別の規格、人生の規格、、などなどなど。

それをはみ出すとアチコチから揶揄される。途端に生き辛くなってくる。

 

規格という、単一の正解に向かって突き進む。そのレールに乗っかってれば安心。

ひと昔前は、そういう生き方でほぼ問題なかったのでしょうね。

その頃の価値基準の名残なのかな、とも思いはします。

 

 

あれこれ多様性があるのが自然。それをひとつの規格に押し込めようとするのは、

やっぱ不自然でオカシイ事なんじゃないかな、と思うのです。

 

ではまた、その内。