No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

周囲を窒息させないように

 「ポンコツのほうが、やりやすいです」 - いつか電池がきれるまで

 

これで最初に取り上げられてるエントリはちょっと前に目にしていて、「ぁぁ、昔の俺が居る」と思ったのです。

 

 

 

私は子どもの頃から、優等生でなきゃいけない。ヒトに嫌われちゃいけない。常に正しくなきゃいけない。そんな強迫観念じみたモノが頭を占めてて、李下に冠を正さず、を地でいくような感じでした。

何かしら悪い印象を持たれたら負けだ、終わりだ、って考えてました。

なので、ひとまず我は収めておいて、十分信用を勝ち得た、これで少しくらい我侭を言っても大丈夫だぞ、と場が整ってから我を通し出す。そんな按配。

(何といやらしい子どもだったか

まぁ、あれですよ。自分に自信がなかったのですよ。周囲を異様に恐れてた。

自己愛なんて「何ですかそれは?」って感じでしたからね。自分大嫌いだった。

 

 

そんな事やってたので、まず「正しくはどうあるべきか」と考える回路が出来上がっていったわけです。

ある程度歳とって、友達と何かしら議論になった時、こっちはとんでもなく真っ当な正論ばかりを吐く。理想主義で完璧主義。最悪の組み合わせ。

「そりゃそうだけど、実際そうじゃない事もあるだろ」って話を何度されたか。そんな時の友の眼に宿ってた感情は何だっただろうか。

 

また、そう正しくあろうとする自分と、成長するにつれて育ってきた実際の自分はぴったりは重ならず、次第にズレも大きくなり息苦しくなりもしました。

そして、ある出来事を契機にパッと目の前が開けて、「素直でいよう、正しくなくてもいいから」と思うに至る道のりがあったのです。

(正しさ満載の自分と実際の自分が重なってたらと思うと、正直今はゾッとする

 

以上、ちょっと自分語り。

 

 

で、そういう経験から言うと、正しいってのは楽なんです。ある意味。

もう目指すものがはっきりわかるから。そこに対してひた進めばいい。

周囲も正しいという事には寛容でまず否定されることはないし、そこそこの評価はしてもらえる。

否定されない=ウケている、とも考えられるわけです。だから他人にどんどんその正しさを発信しがちになる。

 

素直であるのは結構キツいんです。まず何かしらぶつかる。思い通りになんて中々ならない。

「独りじゃないんだから心擦れあい、血が滲む事だってたまにあるだろう」って話になる。(わかるヒトだけわかって、笑)

他人とぶつかって嫌な事態になる事も多いし、下手すると攻撃対象にされてしまうかも知れない。

そうなったらそうなったで、こっちが悪いと思ったら謝ればいいんです。

結構周りのヒトって優しいですよ。自分が周囲に優しければ尚のこと。怖がることはない。ちゃんと謝れば許してもらえるはず。

何かしら致命的になったら、それはそういう巡り会わせだったってことにでもしておきましょう。

 

 

正しいことを言われ続ける側はキツいですよ。反論のしようがないんですもん。ちょっとした自分の意思を挟む隙すらない。

言ってる方に自覚がないと気づきようがないので、ちゃんと自分から発信しないといけない。でも、それ言ったらどうなるってすごく不安になる。隙が見えないから。

私がここで思えるのは、自分はこうならないように、くらいしかない。自分が関わるヒトを窒息させないように。

 

リンクのエントリでは"ポンコツ"って言葉使ってらっしゃいますが、肩肘張らずに程よく力抜いて自然体で素直に、ってのがいいんでしょうね。ずっとあるヒトと付き合っていくには殊更。

 

 

今の自分が昔の自分を振り返ると、ウザイ奴やな、と思います。もう身も蓋もなく。

正しい?そんなん知るかよ。俺はこうやりたんや、とか言いたくなる。(ぁぁ、恥ずかしい。

まぁ、よく言われますけど、そういう何やかやがあって、今の私が在るのですね。

 

余談ですが、絶対的な正しさをもって事に当たる、ってのは、時としてヒトと接する際(日本の曖昧になりがちな仕事の上での議論とかね!)の有効なテクニックともなるので、そういう経験をしてたのは少しは役立ってもいます。

 

 

うーん、乱文だ。まだまとめ方掴めてねぇなぁ。がんばろ。

リンク先で紹介してある、乙武さんの本も読んでみよ。

 

ではまた、その内。