No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

広く、時には狭く

Twitter / kikumaco: 海外で事故があったときに、大使館などから日本人の安否情報が出 ...

 

 

ボストンマラソンでの爆破事件に関連して、TLに流れてきたのがこのツイート。

これを見て目から鱗が落ちました。私は、正に的外れな反応を示していた。

 

これまでは、「また日本人についてしか言及してないよ」とウンザリしてました。

かのイエモンの名曲「JAM」で歌われている「日本人は居ませんでした」という詞に感化されてました。

(これは私が適切な捉え方をできていなかっただけであり、この歌で言っている"嬉しそうに"という部分には大いに反感を持って然るべきであり、「JAM」が名曲であること、イエモンが偉大なロックバンドであることに何ら変わりはない)

 

私には、海外に住んでいる近しいヒトは居ない。

では仮に、私の家族や友人が海外に住んでいたら?旅行に行っていたら?ボストンマラソンに参加していたら?

そんな時にこの「日本人は居ませんでした」という言葉に、どれだけ救われるか。

 

得てして、全体を捉えられる視点に立つ事に意識が向きがちですが、限定された範囲へのメッセージがより有効な場合もあるのですね。

誰しもに平等にあろうとするばかりに、いかなる時も、通り一遍の俯瞰的な視点から物事を考えて発信しようとしてしまう、

そうではなく、自分とは異なるいかなる立場にも身を置いて考えられる。それが本当に平等である事だと思います。

広く考えることを発展させていくと、様々なヒトの境遇に身を置けるようになれるのかも知れません。私はまだその境地には至れてませんが。

 

 

 

想像してみよう。世界は広く、また狭くもある。

 

 

ではまた、その内。