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No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

ナニモノであるか、ありたいか

そういや、このブログのタイトルの話してないじゃん、ってことでその辺の話を。

注:このエントリはブログタイトルが「"…, yo soy desarraigado."」 であった時のものです。

 

 

元ネタはこの小説から。

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この話は映画にもなってて、これが原作を素晴らしく活かしてて面白い。

ウチの親父も大絶賛!(笑)オススメです。

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で、この言葉はスペイン語です。

↑の話で、在日朝鮮人の主人公が口にするのですけど、全文は

「No soy coreano, ni soy japonés, yo soy desarraigado」

というもの。

意味は

「俺は朝鮮人でも日本人でもない、ただの根無し草だ」

です。

 

このセリフがどこでどのように使われ、どのような意味を持つのか、は小説でも映画ででも、お好きな方で知っていただければいいのですが、この「ただの根無し草だ」という部分を、タイトルに使用させて頂いてます。

 

 

根無し草。ゆらゆら漂う浮き草。フラフラと落ち着きのない様子。

一方で、どこにも根っこを下ろさない、所属しない、という意味合いも。

 

私、肩書きというのがどうにもしっくりこない性分でして、私はどうであっても私、と考えています。

他人に対しても、同じようにそのヒトはそのヒトでしかない。そして、どこまでも地平はまっ平らです。

 

この日本では、何にでも肩書きやレッテルを貼り、そのモノの実際の姿よりもその肩書きが発するイメージから、ステレオタイプに物事を捉え、判断するニンゲンが多いように思います。

その肩書きはそのヒトの本質を必ずしも顕すものではないのに、そこにばかり囚われる。あまつさえ、上だ下だ、貴だ賤だ、だとか無為な凸凹を生み出す。

また、ある肩書きを得る為に躍起になる。その肩書きを得た所でそのヒト自身が変わるわけでもないのに、そこで満足してしまう。そこから何を成すかが重要なのに。

(まぁ、肩書き判断してくれる社会ですから、そういう点で、得るだけにも何かしらメリットあるんですが)

 

ヒトそれぞれの姿は千差万別。全部掴もうとすると大変です。

何かしら集約された肩書きだとかのイメージで、束ね上げて捉えた方が楽ですよね。

でも、それで見落とされる色々は、とても大事なモノだと思うのです。

 

自分はそういう色々を捉えて考えられるニンゲンになりたいな、という自戒を込めて、そんな言葉です。

ジブリの「もののけ姫」でアシタカが"曇りなき眼で見定める"って言ってます。それが信条。

 

 

もっと考えよう。もっと想像を巡らせよう。

世界はとてつもなく広い。どっかに根を下ろすのは、もっと先でいい。

 

 

ではまた、その内。