No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

自由とは自分だけに都合いいことでしょう

先日書いた以下のエントリでの出来事から、今の私が何をどう考えてるという話を会社に伝えました。

 

「お客様は神様」ではないにしても、その1 ~とあるシステム保守担当が遭遇した出来事~ - "…, yo soy desarraigado."

「お客様は神様」ではないにしても、その2 ~とあるシステム保守担当の叫び~ - "…, yo soy desarraigado."

 

 

そして、昨夜、会社の先輩2人とちょっと話をする機会がありました。

 

案の定、と言うか、やはりと言うか、企業だとか組織だとかの尺度では、この嘘は正当化される(「良くないことだけど仕方ない」という言い方で)のだなぁ、という事を諭されました。

まぁ、それは既に認識してることでしたが(どうもね、私の話の仕方がマズイのでね、まずは誤解を生じてしまうね)。

 

で、結局、この出来事は実際のところ、言うほどに大きな意味はなくて、これまで溜め込んでた諸々が、今回の件で臨海点を超えてしまっただけなのかな、という所に思い至りました。

いろいろ溜め込んでた悪い時に、どうにも意思にそぐわない事が自分の身に降ってきて、それで大きなダメージをくらってしまった。

いつでも溢れてしまいそうな状況にあった水盆に、最後の一滴が注がれた。そんな事なんでしょう。

事の巡りが悪い方に嵌ってしまったのだろうな、と。

 

あと、「嘘つかない」ってものすごく正論じゃないですか。正論ってとりあえず言ってる方は気持ちいいし、言われた方は言い返し難いし、厄介なんです。

そういう事で、自分の意向をより"正当"に見せたいが為の格好のエサが得られた、という事だったのでしょうね。

私はそういう点でとても卑怯なのです。これはずっと昔から変わらない。

そうではなく、そういう"正しさ"ではなく、何が嫌なのか、ダメなのか、をもっとストレートに捉えて発しないといけないですね。やはり私は捻くれてる。

ぁぁ、話をややこしくしてしまったのだなぁ、と反省。軌道修正しとかないと。

 

 

やって楽しくなければ、そこに意義ややりがいを感じなければ、今の私には続ける理由などありはしない。

現状が気に入らないことに対して「変えようとしてる?」ということを先輩に言われましたが、変える為の労力を割くには、その為のモチベーションが必要なわけで、モチベーションの為には有用な見通し(希望的な)が必要なわけで、そんなもんがここにあるかと聞かれると、少しもあるとは思えない。

つまりは全てが徒労に終わることしか見えない。ぇぇ、やってもない内から言ってますけど。

 

あと、話している中で、他人だとか他所の事情だとか「たられば」の話だとかを持ち出されたとして、全く何の感慨も湧かないなぁ、という印象が強かったのは何故だろう。やはり、私は当事者としてしか物事を捉えられないのだろうか。

とりあえず、誰かに何かを諭す時は、あまり外の話を織り交ぜるのは止めたがいいのかもしれない。

単に自分の認識が狭いだけ、という話かもしれないですが、結局、認識を広げる=組織にとってのベストを考えさせる=組織に都合いい結論を導き出そうとする、ということなんじゃないかとも思っちゃってます。

 

 

もう色々とメンドクサイ。全て放り出してどっかに逃げたい。

多分ですね、どこもどっちも間違ってはないのです。

それぞれの立ち位置から見える世界は違って、そのどちらからでも正当に見えている。

で、そこが相容れないから色々ややこしい。こんな事はこの世界どこにでもある話。

 

そんな中で自分がどうしたいか、どうするか、そこが大事なのでしょう。

 

さてと。

 

私は、周囲のヒトに比べると、とても個に寄っている思考回路を持っています。

これが正しいとか間違いだとか、いいとか悪いとかではなく、ただ自分はそうなってるな、というだけです。

ヒトが何するかって、結局、自分の満足の為でしょう?というのが、根底にあります。

そこに、より聞こえの良い理由を如何につけるのか、という所で"正義"だったり"組織の為に"だったり"誰かの為に"だったり、そんな事をくっつけてるだけのような気がしてます。

もう、自分がそうやりたいことやればいいじゃないか、オカシイと思うならオカシイと言えばいいじゃないか、と思うのです。

(何でもかんでも、というのではもちろんなく、越えてはならない、侵してはならない線ももちろんありますよ)

 

そんな単純な話を、わざわざに複雑にする必要はどこにもないと思ってます。

しかし、世のしがらみや集団としての大儀やらで、どんどん周りは複雑にする。

自分と、その他の溝が、どんどんどんどん開いていく。壁がどんどんどんどん高くなる。

ぁぁ、これを社会不適合と呼ぶのかな。集団の中で生きていける自信がない。

 

自分勝手?そうでしょう。我侭?そうでしょう。

でもさ。それが悪いって話ではないのでは?

自分に素直にあることに、どこに罪悪感を覚える必要があるのです??

 

 

今回、先輩方が時間を割いて話をしてくれる事に、私のことを案じて(これも単に会社などの損失の為にやってんじゃねぇの、とか思っちゃう事もあったりね、、もうビョーキだね)くれる事に深く感謝を覚えつつも、気持ちは冷え込んでいってるのを感じました。

どうにも私はこの社会と相容れない。

誰しもが程度の差はあれ、同じようなことを感じてるかもしれない。

そこで耐えられるヒトは耐えればイイ。私は耐えられそうにない。

 

まぁ、そういう事なんでしょう。

 

 

とりあえず、新たな見方に達した事もあり、改めて見つめ直して考えていこうと思います。

ではまた、その内。