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No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

山は危険、だけど、登る

日常

今年から登山(そう本格的でもないけど)をやり始めました。

それで、先月、命の危険を感じる場面に2度遭遇。

喉元過ぎ去った後、これはいいネタになる(ぉぃ)、と軽い気持ちで捉えていたのですが、そんな中起こったのが、御嶽山の噴火。

軽い気持ちは吹っ飛び、色々と考えることも増える。そんな話。

 

 

とりあえず、まずは、私の体験談から。

 

 

ひとつ目。

自宅からサッと行ける距離に低山が幾つかあって、それらを登ったり縦走したりってのをやってます。

大体、月いちくらいの頻度で。登山と言うか山歩きと言うか、そんなヤツ。

その日は3つの山を縦走する予定で、2つ目までは順調に登り、いざ3つ目の山へ、というので山を降りるルートに入る。

 

そこで案内を読み違えてしまい、道なき道へ。

引き返そうか、と言う考えも頭をよぎるが、「降りてたら、どっか山裾に行き着くだろう」と安易に思い直してズンズン降りる。

傾斜がどんどんキツくなる。木々を支えに少しずつ降りる。

そして辿り着く。沢に。「ぁー、これ遭難する定石だ」と気づきました。(降りる途中で薄々思ってはいたけども

 

"迷ったら降りるな。登れ。"というのが、登山のセオリー。それをしっかり無視してしまった。(まぁ、例外もあるのだろうけど

私はやや悲観的な気質があるので、色々と悪い想像が浮かびます。そして、それを否定したいが為の根拠のない楽観論も浮かぶ。頭グジャグジャ。これじゃいかん。

 

「これ遭難だよな」と事態を受け止める。とりあえず落ち着いて現状把握。

背中には弁当始め、食料が入ってる。 水もまだ十分残っていた。天気も良い。とりあえず、事態は急を要しない。落ち着け。

道に迷った。急な傾斜に挟まれた沢筋に居る。このふたつが問題。ひとつずつ解決を図る。

 

まず尾根筋に出よう、と急傾斜を登る。両手も動員して、文字通り這って登る。どうにか登る。

尾根筋に出たら、それに沿って戻る。戻る。戻る。元の道に戻れた!

そこから下山。人家のある辺りまで降りてどうにか安心。事なきを得る。

標高500mもない低山での話ですが、パニックにでもなってたら、危なかった。

 

 

ふたつ目。

登山の力試しに、と、夏季休暇を取った折に、大分県は湯布院の由布岳に登りました。

標高1500m程度。1000m超は未体験ゾーン。

 

その日は台風が接近してることもあって、曇り空。途中からガスガスで視界が効かない中の登山でした。

由布岳には西峰と東峰の2つのピークがあって、西峰は鎖場とかあってハードモード。

東峰はフツーに歩いて登れるイージーモード。火山なのでお鉢回りもできます。

で、私は西峰から登ってお鉢回り、というルートを取ったのですが、、これが怖かった。

 

登る前は、「鎖場なんぼのもんじゃい」と思ってたのですけど、鎖がないと登れないからあるのですよね。

ほぼ垂直にそそり立つ岩場。ちょっとしたロッククライミング。少しでも足の置き場を誤って滑らせでもしたら滑落。怖い。竦む。

岩にしがみつきながら「俺、何でこんな事やってんだろう」と後悔が浮かぶ。

それでも、どうにかこうにか登り切り西峰到着。(もう一度同じ事やれと言われても、多分無理です。

<鎖場のひとつ、まだ写真撮る余裕のある状態、見上げながらのアングルです>

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ここで引き返すという選択肢もあるのだろうけど、あの岩場を降りられる気がしない!という理由で、当初の予定通りにお鉢回り敢行。(登りより降りのが怖い

火口の縁はギザギザしてるんですね。小刻みなアップダウンが続く。

鎖場はないけども、たまにどう越えたらいいのかわからないような場所に出くわす。

知恵と身体をフル動員して乗り越える。かなりハイになってましたよ。多分。

<お鉢回りの途中、仙人でも潜んでそうな気配、ここは巻いて越えられた>

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登って降りて、降りて登って、を繰り返す。

しんどい。何がしんどいって、ガスで見通しが効かない。終わりが見えない。

ハイになってたせいか体力的には問題なかったのだけど、精神的に削られる。「まだですか?」と口から弱音がこぼれる。

そんな状況で、ひとつひとつギザギザを進んでいく。小さな休憩を挟みながら進んでいく。(小休止大事

そして、東峰に至る。思わず叫んだ。

 

その後は何の問題もなくスタスタと降りて下山。ひと安心。

岩場のどっかで心折れてたら身動きできなくなってたかもなぁ、とか思い返す。

 

 

 

本人が盛り上がってただけで、傍から見ると何の危険もない場面だったかもしれない。

登山上級者のヒトにとっては、鼻で笑い飛ばすような事だったかもしれない。

単に、私が準備不足や過信で陥った、当然の出来事だったのかもしれない。

 

ただひとつ言える。山には命を落とす事に繋がる要素が沢山潜んでいる。

そして、御嶽山の噴火が起こった。これもそういう要素のひとつ。

山は危ない。危険だ。

 

 

だったらどうする?

山に登らない?近づかない?それでいい??

それじゃ、面白くない。だって、私は山に登る事の楽しさを、素晴らしさを知ってしまったのだから。

(あろう事か、岩場もまたその内、登りたいという気持ちもないわけではなかったりするからコワい

 

 

 

日本って、危険に対して距離を置く、危険の根源となる行為を禁止する、という対処をよく取りますよね。

危険な場所への立ち入り禁止、とか、公園でよくある「○○禁止」とか、そういう類。

まぁ、事故自体は減るんでしょうねーとは思うのだけど、それで失う、得られない事も多々あると思っています。

 

実際の危険に直面しないと培われない感覚、技術というのは確かにある。

訓練してても、いざその時になると何もできなかった、とかいう事もある。

だから、距離をとったり禁止したりして、その危険に向き合える機会(という言葉を使うと変な感じもするがあえて)を奪ってしまうのは違うと思っている。

 

私は、基本的に単独行なヒトなので、誰かに教えてもらって習得する、という事は少ない。

だから尚更、危険に直面して、そこを乗り越えて、そうやって感覚、技術を研ぎ澄ますのが手っ取り早かったりするのです。

そして、その過程で酷い事態になったとしたら、それは「運が悪かった」のだと受け入れる、そういうささやかな覚悟もしてたりします。(諦める、という意味ではないよ、念の為

酷い事態にならないように、準備と下調べはしっかりと、という事を常に考えてもいます。(まぁ、それでも想定以上の事態に遭遇してしまう、という先の2例のような話もあるのですが

 

積極的に危険に飛び込め、という話では、もちろんありません。

ただ、個人の覚悟と責任の範囲で、色々とチャレンジすることは止めない。寧ろ、後押しして然るべきと思っている。

それを遮る権利を持つのは、そのヒトだけでしょう。

 

 

 

山に話を戻すと、登ってて噴火に遭遇する、とか、滅多にある話じゃないです。

乱暴に言ってしまえば「運が悪かった」という話。(気を悪くされた方いらっしゃったらごめんなさい

それでもその可能性はゼロではない。道に迷う可能性もゼロではない。岩場で滑落する可能性もゼロではない。あまりの道の険しさに心が折れ、一歩も先に進めなくなる可能性もゼロではない。

それが嫌なら登らなければいい。それでも登りたければ登ればいい。それだけ。

 

 

私は、山に行き始めて、「そこに山があるから登るのだ」という感覚が、わかるようになってきました。

山は、とても楽しく面白い。そして、危ない。そして、私はまた山へ行く。

今はちょっとバタついてて余裕がないのだけど、月末辺りでまたひと山(ふた山?み山?)画策中です。そろそろ紅葉狩りな時季なのかしら。山にヒトが増えるのかな。

 

 

 

最後に、御嶽山の噴火に遭われた犠牲者の方々に、心からお悔やみを申し上げます。

遺族はじめ関係者の方々に、少しでも早く安穏な時が訪れますよう、お祈り申し上げます。

今なお続く、捜索に携わっていらっしゃる自衛隊、警察、消防、民間の方々が無事でありますように。

 

 

 

ではまた、その内。