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No.33

特にテーマはございません。日常で見たり聞いたり考えたことを、徒然なるままに。

誰の為に拳を振るう -映画「チョコレートドーナツ」感想-

昨夜、映画「チョコレートドーナツ」を観ました。泣きました。ボロボロと。

 

この作品の主軸に据えられているのは、社会的弱者、マイノリティなヒト達。彼らが晒される理不尽。

こういうテーマを据える作品、以前から沢山ありますね。

こちらから積極的に知ろうとしなければ、中々、日常には出てこないテーマなので、ちょっとでも気になれば観るようにしています。

そして、色々考えます。で、今回考えた事をつらつらと。

 

 

登場人物の全部がそうだったワケじゃないけど、ほとんどが"自分の正しいと思う事"をやってました。精一杯。

特に1回目の裁判とか、誰しもが自分の立場で最善と思う事をやってる。多分、あの場に余計な要素はない。

 

誰もが自分の"正義"を込めた拳を振るう。

 

それは自分の為なのか。

自分が良いと思う事を成し遂げる為。自分が信じる法を守る為。自分の気を晴らす為。

個人的には、どんな動機も突き詰めれば自分の為、と考えていますが、そこに他の誰かの為にもなる、という要素が含まれる場合もある。自分も嬉しい、相手も嬉しい。

そんな"誰かの為"という要素。それこそが、一番大事なんじゃないか、と今回思わされました。

 

そうか、誰かを巻き込んでくって感じか。(閃いた

 

 

引っ掛かったこと。

この映画で行われた裁判に、最も影響を被る本人は不在なのですよね。

一応、本人から話を聞き取りしたヒトが証人として呼ばれてもいますが、本人の言葉は最終的に決定を下す判事には届いていない。

法律周りについては無知なので、そういうルールがあるのかも知れないですけど、とてもやるせなかった。本人が決めるのじゃダメなの?と思ってしまった。

本人が決めて、それで何でもかんでも良い方向に片付くワケでもないし、第三者的に少しでも悪い影響がありそうな可能性は排除したいのだろうけど。何かしら決定を下す責任感もあるだろうし。

(まぁ、そこに偏見が含まれたりしてるんだけどさぁ、というのはまた別の話

 

ヒトそれぞれ、何を大切と思うかは違う。何を正義とするかは違う。何がシアワセに繋がるかは違う。当たり前だけど。

そこにどうやって折り合いを付けていくのか。折り合いをつける時の寄る辺は何なのか。

そこもまたヒトそれぞれで、色々ゴチャゴチャ入り組んでいく。複雑に絡み合っていく。難しい。

誰にとっても正解!なんてものはなくて、どっかで妥協点を見出さないといけない。

みんながシアワセって結末は、それこそ奇跡だ。いや、でもできるだけそこに近づけるように足掻きたいよ。

 

 

しびれたトコ。

学校の先生役の方がとても素敵でした。

役自体も、自分の信じるモノをちゃんと持っていて、でもそれに囚われ過ぎることなく、世間が、社会がどんなモノなのかも捉えている。そんな聡明さのある人物で。

自分の言葉で、自分の思いを表現する。他の役もそういうタイプが多かった。

ぁぁ、自分もこうありたいな、と思える面が沢山あって、とても刺激的でした。頑張るよ。

 

 

余談。こういう話を見て聞いて、いつも考えが行き着く先からの放言。

他のヒトと同じだってだけで、同じ考えのヒトが多いってだけで、その考えが良い、そのヒトが正しいという事にはならない。

もっと個人の可能性を信じればいいのに。どんな環境に置かれても、真っ当に進めるヒトは進むんだよ。(逆もまた然りだけど

そして、色んな可能性の発露を広く深く受け止められる、そんな受け皿としての社会であったらイイのにね。

 

 

 

とまぁ、あっちこっち話が飛びましたけど、まだ観られてない方は是非どうぞ。

色々と書いちゃったので構えて入るかもしれないですが、映画を楽しむスタンスで軽やかにどうぞ。

泣く、とか、色々考える、とかする為にではなく、単に楽しむ。

映画としての作りも素晴らしくって、ステキな作品ですから。


『チョコレートドーナツ』予告編 - YouTube

 

考えの整理つかないままの乱文でごめんなさい。

まずは残しておきたかったので。

 

 

ではまた、その内。